錦戸亮という男が死んで、生まれた日へ
ジャニーズ 錦戸亮が死んだ。
それが2019年9月30日のことである。
私が彼を知ったのはNEWSというアイドルグループで、お兄ちゃんらしく後輩たちを率いた貴方を見た時だった。あの頃のNEWSは山下智久・錦戸亮というツートップを抱えて、眩い光を放っていた。今思えば、彼らは眩いという単語が最も似合う6人だった。ジャニーズらしく、アリーナ・ドームを光と幸福に包む、白がよく似合う6人だった。
ある日、山下智久・錦戸亮、NEWS脱退という記事が世間を駆け巡った。まだ幼くて、彼らが大好きだった私は絶望して、しばらくジャニーズを追うことを辞めた。1度目の失恋だった。
1人は自らの音楽をこの事務所で確立し、俳優をこなした。1人は、関ジャニ∞という本来あるべきグループに専念し、音楽活動・俳優活動を継続してくれた。
あの時は、錦戸亮という男がNEWSから逃げたと思い、天秤にかけられたNEWSが捨てられた、そんな安易な考えだけが駆け巡って、許せなかった。なんでNEWSを解散させなかったんだ、もう、6人じゃないNEWSなど無くしてしまった方がいい、なんて最低なことすら考えた。
少しだけ大人になった私は、ずっと好きだった丸山隆平という男に逢いに、錦戸担の妹と関ジャニ∞のライブに行くことにした。月日は不思議なもので、関ジャニ∞で輝き続ける錦戸亮に逢いたくなった、ということもある。
そして知った。錦戸亮という最高のアイドルの存在を。アイドル人生の全てを関ジャニ∞にかけた彼の男らしさと努力、男としての全てに心打たれ、後悔した。
もっと早くに錦戸亮をしっかり見ておけばよかった、と。
そこから私は瞬く間に関ジャニ∞というグループを愛した。
そして、渋谷すばるの脱退・退所。
2度目の失恋だった。
言うたやんか。関ジャニ∞は永遠だって、言うたやんか。
正直とてつもなく悲しかったし、立ち直れなかった。でも、あのGR8ESTを見て、彼らについていく、そう決められた。6人の関ジャニ∞を愛す、そう決めた。
錦戸亮退所か?との報道なんか見向きもしなかった。嘘だって。私はずっと目を背けた。
もう裏切られることなんてないって信じてた。
そして十五祭。
「最低で最弱な時も、関ジャニ∞を愛してください」
そう末っ子の彼が言ったのだ。
愛すよ。当たり前じゃん。何言ってるの。そんな時ない。
いや。
あったんだ。
2019年9月5日。
ああ、来てしまったのか。3度目の失恋だった。思い出すだけで心が捩じ切れそうになる。
嘘つき。ただそれだけで、泣くことすらできなかった。もうこれ以上辛い思いはしたくないと、心が予防線を張った。
数日後、大倉が話した生放送ラジオで私は初めて少しだけ前を向くことができた。ありがとう。あの30分間はeighterにとって感情が爆発して砕け散った時間だった。
5人での活動が決まり、47都道府県ツアーも始まる。
錦戸亮、退所との報道があってから、彼は一度たりとも公に姿を表すことはなかった。月日は流れる。
私は、そんな月日の中で過去の関ジャニ∞の楽曲やライブを見た。6人で屈託無く笑う彼らが、この時は嘘じゃないと証明していて、何が変わってしまったのかを探していた。
答えなんてなかった。
彼らはアイドルだから。
現実を伝えるのはアイドルではない。
輝かしく、眩い光を放ち、私たちを幸せにする。なんて素晴らしい仕事なのだろう。
だからこそ、私たちが真実を知ることはないのだ。人の屍の上ですら、彼らは眩い光を放つ。真実は何なのか、なんて愚問だった。私たちには知る権利などない。
ジャニーズ錦戸亮は死んだのだ。
そして錦戸亮は生まれた。
あなたがジャニーズ事務所にいた21年間が、少しでも幸せだったと思ってくれたらいい。
その21年を踏みつけて駆け上がってくれていい。
あなたを傷つける世界に、牙を向いて、刃を入れ、たまに泣いてほしい。
そのときは古いアルバムを開いて、21年を思い出してくれたらいい。
ありがとう。
あなたがいてくれた世界は、とても美しく、醜く、愛しかった。
鏡の中の僕は
見栄を張ったらソレナリに見えて
それでも大人になったら
望む場所を見失っていた
攻められたり 攻め倦んだりして
時には言葉が武器に変わったり
ふざけあったり 笑い転げたりして
遠い未来に手を伸ばしていた
終わりなんてないって思ってた
終わりなんてないって思ってた
終わるはずないって思ってた
BOY/関ジャニ∞